
● 被災者をチャチャマンボを踊って励ます間寛平
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2012/7/21-06:01 スポーツ報知
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120721-OHT1T00039.htm
寛平「もう体が限界」マラソン引退へ…8・13から「みちのく復興ラン」で有終
過酷な「アースマラソン」など、ランナーとしても超人的に活躍してきたタレントの間寛平(63)が20日、マラソン引退を明らかにした。
この日、岩手・宮古市で発表された東日本大震災の被災地を9日間かけ、440キロメートルを走る「みちのくマラソン」(8月13~21日)の取材会で
「もう体が限界。地球2周は走った。
被災者を元気づけ、有終の美を飾りたい」
と心境を語った。
マラソン引退宣言は取材会の最後で唐突に飛び出した。
この日はくしくも寛平の63歳の誕生日だった。
「これが最後になります。
今後、数キロ走ることあってもフルマラソンも走ることはありません」
寛平の体は約2年がかりで2011年1月に終えた「アースマラソン」で心身の極限を超えていた。
「あれで足も筋肉もボロボロになってしもうてね。
体がめちゃめちゃ痛いんですわ。
3か月くらい走る気力もなくなって。
体が動かん。
なかなか元に戻らんのですわ」。
出てくる言葉が、完走の壮絶さと代償の大きさを物語る。
実際のところ5~10キロ走るのも困難な状況にありながら「みちのくマラソン」を志願し、1年がかりで吉本興業を説得したという。
「自分も阪神大震災で宝塚の自宅が全壊して参った。
でも、今みんな、自分のあの時より、もっとつらい思いをしてる。
アースマラソンでは日本も走ったが、東北を走ってなかったのが気になってね」
8月13日から9日間かけて岩手、宮城、福島の3県を1日約50キロ、計440キロを走る。
寛平は10年に発見された前立腺がんとも闘っている。
「3か月ごとに検査を受けてますが、いまは数値が落ち着いている」
と幸いドクターストップはかかっていない。
いまも疲労感が抜けない体調を語るときの悲壮な顔と、最後のマラソンについて話すときの寛平の表情は対照的だ。
足に激痛を抱えながらマラソンの距離を50キロにした理由を、
「アースマラソンでそのくらい走ってたからね。
30キロにしたら甘えているということ。
やる限りは自分と追い込まんとね」
ラストランでは避難所をいくつもまわって被災者を励まし、夏休みの子供たちともふれあう。
「少しでも元気になって笑顔になってほしい。
僕が逆に元気づけられるのかも。でも必ず、最後にふさわしい走りをしますよ」。
決意を語るその表情は、修行僧のようだった。
【寛平の主な出走】
▼1986年1月 一般の5キロ大会で完走し、マラソンデビュー
▼同2月 東京・青梅マラソン30キロの部を2時間26分で完走
▼同12月 米ホノルルマラソンで初のフルマラソン挑戦。3時間13分で完走
▼91年 88、90年に挑みリタイアしたギリシャ・スパルタスロンを、3度目の挑戦で246.3キロ完走
▼93年 92年に150キロ地点でリタイアした日本テレビ系「24時間テレビ」の200キロ走破に成功
▼95年 「24時間テレビ」で阪神・淡路大震災復興を祈念し、神戸・東京間約600キロを7日かけ走破
▼98年 米ラスベガスマラソンを3時間8分42秒で完走
▼2008年12月~11年1月 ヨットとマラソンで世界一周するアースマラソンに挑み、陸海計約3万6000キロを766日で完走。
◆間 寛平(はざま・かんぺい)本名・間重美。1949年7月20日、高知県宿毛市生まれ。63歳。70年に吉本興業入り。吉本新喜劇座長、テレビのバラエティー番組で活躍。「アヘアヘ」「かい~の」などのギャグで人気に。92、93、95年に日テレ系「愛は地球を救う」のチャリティーマラソンに挑戦。164センチ。血液型AB。
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日刊スポーツ 2012年07月21日 08時00分
寛平被災地支援440キロラストラン
タレント間寛平が63歳の誕生日を迎えた20日、マラソン引退を表明した。
岩手県宮古市を訪れ、被災3県(岩手、宮城、福島)の約440キロを走る「寛平みちのくマラソン」(8月13~21日)への挑戦を発表。
30年に及ぶマラソン人生を今回で締めくくるという。
マラソンとヨットで地球一周したアースマラソンを昨年1月に終えたばかり。
今も体はボロボロだが、被災地のために何ができるかと考え、“復興マラソン”参加を決意した。
寛平は、岩手県内にあるグリーンピア三陸みやこにいた。
「おっちゃん、おいでや。一緒に踊るよ。『チャ~チャ、マンボ』って。こうやって腰を振るんやで」。
仮設住宅に住む山本昭男さん(73)と笑顔で踊った。
軽快なギャグやトークで、会場は終始笑いに包まれたが、寛平は言った。
「さっき、山本さんに言われた。『顔では笑ってるけど心は泣いてる』って。ガツンと響きました」。
グリーンピア三陸みやこには、407世帯約1000人の避難者が仮設住宅で生活している。
不便な生活を強いられているのは、この場所だけではない。
「忘れてはあかん」。
と満身創痍(そうい)の体にむち打ち、ラストランに挑む決意をした。
2年以上に及んだアースマラソンの後、まともに走ることができなかった。
足に激痛が走る。
今年に入っても「体が元に戻らない」と落ち込んだ。
1月に走ったが1日5キロがやっと。
3月にようやく10キロに達したが
「膝も足首もボロボロ、筋肉はズタズタなんや」。
アースマラソン中に治療した前立腺がんの定期検診に今も通う。
「3月の検診で(検査)数値が高かったけど先月は下がった」。
“復興支援マラソン”は震災直後から考えていた。
検査結果を知り、走ろうと決意した。
34歳で始めたマラソン。
ホノルルマラソンは20回以上、246キロを走るギリシャのスパルタスロンにも挑んだ。
「地球2周分は走っている」。
マラソンとともに歩んだ30年。
終止符として、被災地を走るマラソンを選んだ。
阪神・淡路大震災で自宅が全壊した。
震災で苦しむ人たちに少しでも力になりたい。
そう考えて決めた。
1日30キロという提案もあった。
「それでは甘えている。被災地が元気づかない」。
アースマラソンと同じ1日50キロに設定した。
「最後にふさわしい走りをせな」。
30年分の思いを被災地の道に刻み込む。【三須一紀】
◆間寛平とマラソン 246キロを3日間で走るスパルタスロン(ギリシャ・アテネ-スパルタ)に8回挑戦(完走は3回)。その練習に91年には東京-富士山頂の約130キロを走破。東京-大阪の約550キロは3回走った。日本テレビ系「24時間テレビ」は92年に153キロ、93年に200キロ、95年に「阪神・淡路大震災の被災者に勇気を受け取ってほしかった」と神戸-東京を1週間かけて600キロを走破。
◆「寛平みちのくマラソン」 8月13日に岩手県山田町にある「陸中海岸 青少年の家」をスタートし、宮城、福島の被災3県の沿岸部を走る。スタート地点や宮城県名取市、福島県伊達市の3カ所で「応援ラン」と題して約2キロの並走期間を設ける。各45人で大会ホームページで募集。毎日1カ所仮設住宅を訪問。福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズでゴール。
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